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佐賀地方裁判所 昭和54年(ワ)212号 判決

原告(番号1)

相島達也

外一四名

右原告ら訴訟代理人

本多俊之

河西龍太郎

被告

基山町

右代表者町長

天本種美

右訴訟代理人

竹中一太郎

夏秋武樹

被告補助参加人

八千代建設株式会社

右代表者

田中清

右訴訟代理人

半田萬

主文

一  被告は、原告井邦歳を除く各原告に対し、別表二中、各原告の損害金の合計額欄記載の各金員及びこれに対する昭和五三年一月一日から支払済みまで年五分の割合による各金員を支払え。

二  原告井邦歳の請求を棄却する。

三  訴訟費用中、原告井邦歳と被告間に生じた分は同原告の、補助参加によつて生じた分は補助参加人の各負担とし、その余はすべて被告の負担とする。

四  この判決の第一項は仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、各原告に対し、別表二中、各原告の損害金の合計額欄記載の各金員及びこれに対する昭和五三年一月一日から支払済みまで年五分の割合による各金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

3  担保を条件とする仮執行免脱宣言

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  本件災害の発生

昭和五二年五月から九月にかけて佐賀県三養基郡基山町において流行性肝炎が発生し、基山町立基山小学校の児童四一一名、同小学校職員一一名、基山中学校生徒一〇名、保育所・幼稚園児五名、高校生・一般住民四四名、合計四八一名が右肝炎に罹患した(以下「本件災害」という。)。

原告番号一番ないし一三番の原告は、当時同小学校に在学中の児童で、後記のとおり同小学校内でA型肝炎ウイルスに汚染された井戸水を飲用して肝炎に罹患した者であり、同番号一四番井敦子は同番号一一番ないし一三番の児童の母親、同番号一五番井邦歳は前同児童の父親で、両者はいずれも前同児童を経由して肝炎に罹患した者である。

2  本件災害の原因

(一) 基山小学校は、基山町のほぼ中心部に位置し、昭和五二年四月当時一一〇六名の児童と四三名の職員を擁しており、同小学校には、別図のとおり、本館(三階建)、管理棟(二階建)、体育館、プールなどの建築物・設備とともに、三つのし尿浄化槽と四つの井戸があつた。

(二) 管理棟の各便所において排泄されたし尿は、管理棟のし尿浄化槽(以下「本件浄化槽」という。)に汚水管(排便パイプ、以下、本件浄化槽と汚水管を含めて「本件浄化設備」という。)を通つて集まる仕組となつていたが、右汚水管には、その接合部分に隙間があり、その隙間からし尿が地下に漏出するという重大な欠陥があつた。

(三) そして、右汚水管の隙間から漏出したし尿は、付近の地下水と混合し、別図中の井戸Aへとしみこんでいたが、それは、井戸Aが本件浄化槽に近接しすぎているという設置上の欠陥によるものであつた。

(四) 右(二)、(三)の欠陥は、昭和四三年一〇月頃から本件災害が発生するまで改善されることなく放置されていた。

(五) 井戸Aにおいて汲みあげられた井戸水は、基山小学校で児童の飲料水として使用されていた。

(六) 以上のとおり、本件災害は、本件浄化設備及び井戸Aの構造上、設置上の欠陥と両設備の管理の怠りにより、A型肝炎ウイルスを保有する児童の排泄物に含まれていた同ウイルスが、汚水管から漏出し、井戸Aへ入り、井戸水とともに児童らの体内へと入つたもので、右経路により同小学校の児童らは流行性肝炎に罹患し、経口感染によりさらに地域住民らも罹患するに至つたものである。

3  被告の責任

(一) 国家賠償法二条による責任

井戸Aの井戸水は、遅くとも昭和四五年七月頃より本件災害発生時まで汚染されており、保健所の水質検査でも飲料不適格とされていたものであるところ、井戸Aは国家賠償法二条一項にいう「公の営造物」に、井戸Aの井戸水の汚染は同条にいう「設置又は管理の瑕疵」にそれぞれ該当するから、被告は同条所定の損害賠償責任を負う。

(二) 管理義務違反

被告は基山小学校の管理者であり、学校管理者として学校における児童・職員の健康と生命の安全を保持すべき義務を負つているのであるから、井戸Aの井戸水が水質検査の結果飲料不適格と判断された以上は、直ちに汚染の原因を調査してその原因を取り除き、あるいは殺菌装置や浄化装置を設置する等して、飲料適格の飲料水を児童・職員に飲用させるべき管理義務があるのに、これを怠り、何ら適切な処置をとらず、長期間慢然と飲料不適格の水を児童・職員に飲用させ続けた。

よつて、被告はこれによつて蒙つた損害の賠償責任を負う。

4  損害

原告らの大部分は児童であり、健康にのびのびと豊かな資質を開花しなければならない時期において、本来児童の心身の健全な発達を大切にされるべき学校教育の現場において、本件災害に遭い、相当長期間の休学を余儀なくされたのであり、その精神的苦痛は甚大である。

さらに、原告らの居住する基山町は佐賀県の最東部に位置する閑静な田園都市であり、福岡市に生鮮食品を供給する都市隣接農業地域であるが、ここで流行性肝炎が発生し約五〇〇名の児童・住民が罹患したことは、単に佐賀県ばかりでなく、全国的にも大問題となつたのであり、流行性肝炎に罹患した患者、家族らの肉体的・精神的苦痛は、流行性ということのために地域社会生活上の様々な圧迫を受けてさらに増大した。

各原告が本件災害のために蒙つた主な症状、入・通院期間は別表一のとおりであり、各原告が受けた損害額は別表二のとおりである。

5  よつて、各原告は、被告に対し、別表二中、各原告の損害の合計額欄記載の各金員及びこれに対する不法行為の日の後である昭和五三年一月一日から支払済みまで年五分の割合による各遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1前段の事実は認め(但し、肝炎患者数について、基山小学校の児童は四一五名、高校生・一般住民は四五名であり、合計は四八六名である。)、同後段の事実のうち、原告番号一四番、一五番の原告が同番号一一番ないし一三番の原告を経由して流行性肝炎に罹患したことは不知、その余は認める。

2  同2(一)の事実、(二)の事実のうち、各便所において排出されたし尿が本件浄化槽に汚水管を通つて集まる仕組となつていたこと、右汚水管にはその接合部分に隙間があつたことは認め、(二)のその余の事実、(三)ないし(六)の事実は否認する。

3  同3(一)の事実のうち、井戸Aの水が保健所の水質検査の結果飲料不適とされたこと、井戸Aが国家賠償法二条一項の「公の営造物」であることは認めるが、その余は争う。

同(二)の事実のうち、井戸Aの水が右のとおり飲料不適とされたこと、被告が基山小学校の管理者であり、学校管理者として学校における児童・職員の健康と生命の安全を保持すべき義務を負つていることは認めるが、その余は争う。

4  同4の事実のうち、原告らの大部分が児童であり、健康にのびのびと豊かな資質を開花しなければならない時期にあつたこと、原告らの居住する基山町が佐賀県の最東部に位置する閑静な田園都市であることは認めるが、その余は争う。

三  被告の反論

1  汚水導入管の接合部分に隙間が存在したことは事実である(その箇所は検証調書添付見取図第五図にと表示してあるためますと導入管の接合部分に限られる)が、仮にし尿が右の隙間から漏出したとしても、これが井戸Aにしみ込んだものとは到底考えられない。

すなわち、まず本件浄化槽及びこれに附属するためます導入管と井戸Aの間には管理棟と本館を結ぶコンクリートの渡り廊下があるので雨が降つても地表の水が井戸Aの方に流れることはないから、問題はし尿が地下水と混合して井戸Aにしみ込んだかどうかであるが、地下水は水位の高い所から低い所に流れるものであるところ、井戸A付近の地下水の方が本件浄化槽付近の地下水より水位が高いのであるから井戸Aの水を揚げたか否かを問わず本件浄化槽付近の地下水が井戸Aに流入することはない。

また地下水の高低をしばらくおいても、現地の土壌の透水率からして前記の地点から井戸Aに地下水が到達するには一五八日を要するから、し尿が地下水と混合して井戸Aにしみ込んだとする原告らの立論は誤りというほかない。

2  原告らの立論の根拠である高松誠教授の水系感染説、具体的には井戸Aの水による感染説には次のような欠陥があり、きわめて疑問である。

(一) 高松説の基礎となるアンケート調査は昭和五二年五月中に水を飲んだか否かを問題にしているが、タンクの水は本館屋上にあるタンクBから供給されていたところ、タンクBの水が不足したため教頭が五月一五日頃及び同月二五日頃井戸Aの水をタンクAに揚水したのであるから、アンケート調査に当つても五月一五日以降水を飲んだか否かとすべきであつた。

更にもともと何処で水を飲んだかという調査がなされたのは昭和五二年九月になつてからというのであるところ、小学生が五月頃学校で水を飲んだか否か、何処で水を飲んだかなど九月に至るまで記憶していること自体不自然であつて、右調査結果は真実とかけ離れている公算が大きい。

(二) 井戸Aから揚水された水はタンクAに入るがタンクの水は本館屋上のタンクBに入ることはない(タンクAには一定水準まで水が注入されると水の流入を阻止する装置があり更に一定限度以上の水が流入すれば外部に排出される装置があつてタンクAに余分の水が注入されてもタンクBに逆流することはありえず、またタンクBの基部はタンクAの満水時の水位より3.385メートル高くタンクAの水が自然にタンクBに流入することもありえない)から、水系感染説をとるにしても、タンクBの水は体育館北側の井戸から揚水されており汚染された形跡もないので、タンクAの水の混入が否定される限りタンクBの水のみ飲んだ生徒が肝炎に罹患するはずがない。

しかるに高松説によれば、水を全く飲まないという生徒とタンクBの水のみ飲んだという生徒の罹患率に有意の差があつたのであるが、井戸Aの犯人説ではこの結果を説明することは困難である。

(三) 昭和五二年当時基山小学校には上水道がなく、井戸水もまた飲料に適しないため学校では生徒に水筒を持参させるほか湯茶の供給設備を拡充し生徒に衛生的な水を充分飲むことができるようにするとともに生水を飲むことは堅く禁止していた。従つて、生徒を指導すべき立場にある教師が自ら生水を飲むなど到底ありえなかつた。しかるに高松見解(甲第五号証)によつても教師の罹患者が一二名の多数に及んでいるが、このことは水系感染説を疑わざるをえない理由のひとつである。

(四) 更に本館一階西側にある特殊学級の全生徒(六名)は他の学級の生徒と異なり毎日管理棟西北側にある足洗場で歯みがきを行つていたところ、使用した水がタンクの水であり歯をみがけば必ずうがいをするから水を飲むのと大差がないのに、これらの生徒で罹患した者はいなかつた。

高松教授はこの事実を確率計算上不思議ではないというけれども、同教授は計算の方法を自説に都合のいいように条件づけているのであつて、六名の生徒がA型肝炎ウイルスに汚染された水を一、二回ではなく毎日口中にしている事実を前提にするならば一名も発病しないなど確率計算上ほとんどありえないはずである。

(五) 生徒が生水を飲んだとされるのは五月のことであつて生徒が学校の禁止をおかして水を飲むほど渇きを覚える季節ではない。もし水を飲むことがあるとするならば運動場で猛烈な運動をした後であろうが、本館の生徒が水を飲む場所は運動場から最も近い本館東南側の足洗場あるいは本館内の手洗場であるはずであつてこれらはいずれもタンクBから水を供給されるものである(運動場から最も遠い管理棟西北側の足洗い場あるいは管理棟の手洗場などタンクAから供給される場所までわざわざ出かけて水を飲む理由はない。)。

しかるに発症率が最も高かつたのは本館三階東端の五年一組(69.2パーセント)であり、また管理棟と渡り廊下でつながらない本館三階の生徒の発症率は総じて高い。一方タンクAから水を供給される管理棟一階西端の三年五組の発症率は26.35パーセントにすぎず、これを高松説によつて説明するのは困難である。

(六) 高松見解によれば、五月一一日頃及び同月一二、三日頃生徒中にA型肝炎に罹患した者がありそのし尿がA型肝炎ウイルスの汚染源とされているが、A型肝炎ウイルスは大便によつてのみ体外に排出されるものであるところ、前記生徒が小学校の便所で排便したか否かの調査がされていない。更に患者の発病時期と水を飲んだことの有無の関係も明らかにされておらず、学校内での二次感染と水との関係が解明されていないという欠陥があるといわざるをえない。

3  本件では、基山小学校の給食婦五名のうち二名につきその家族にA型肝炎患者の発生をみており、従つて給食婦のなかにA型肝炎に罹患しながら自覚症のあらわれない不顕性患者がいた可能性が否定できないから、給食による感染を疑う余地が多分にある(高松教授は各クラスによつて発症率に差があることを理由に給食による感染を否定するけれども、給食婦中に保菌者がいたとするならばその者が取り扱つた食品は肝炎ウイルスが付着するが、他の給食婦が取扱つた食品は汚染されない。しかして汚染された食品は必ずしも各クラスに同一比率で配給されることにはならないのであるからクラス別の発症率に非常なバラツキが生じた理由あるいは教師でも多数罹患した理由その他前記水系感染説の矛盾は給食婦説の方がより容易に説できる。)。

仮に給食が本件肝炎流行の原因だとすれば、潜伏期間が長くしかも不顕性のA型肝炎に罹患している給食婦の存在を学校当局が発見することは不可能であつて、被告がその責を負ういわれはない。

四  補助参加人の主張

1  昭和五二年八月初め頃、基山小学校の浄化槽付近の掘削工事を行つた結果、ためますとパイプの接合部分に隙間が発見されたことは事実であるが、その隙間が何時、何故に出来たのか明らかではなく、従つて肝炎発生の頃にも隙間があつたのかどうか、また仮にその隙間が従前から存在していたとしても、そこからし尿が漏れていたのかどうか不明である。

そもそもこのためますに結合されている汚水管は下部の約三分の一ほどがためますの基底部がくり抜かれて低くなつている部分に埋込まれてしまう構造になつているため、接合部分に隙間があつたとしても上部三分の二の部分であるところ、ためますに入つたし尿はそこにたまることなく常時浄化槽に入つていく仕組になつており、従つてし尿がためますの溝の部分すなわち汚水管の下の部分を流れていく通常の状態では、隙間からし尿が漏れるということは考えられない。このことは隙間があつたとされるためますの周囲の土や桝と汚水管の結合部分にし尿漏れを窺わせるような痕跡が何ら存在しなかつたことによつて裏付けられている。

2  仮にためますと汚水管の接合部分の隙間から肝炎ウイルスのし尿が漏れたとしても、それが地下水に混入した形で欠陥のあつた桝から原告らのいう井戸Aに到達することは、当該場所付近の地下水の流れる方向(北西方向から南東方向へ)からみてありえないことであり、仮に到達するとしても一六〇日近い日数を要するのであるから、第二次感染の児童の発病時期である五月一〇日頃より第三次感染による児童の発病時期の六月六日頃までは一か月足らずにすぎず、この間に肝炎ウイルスが井戸Aに到達することはありえない。

なお原告らは隙間のあつたためますを管理棟横浄化槽の西側にあつたためますと主張するけれども、そのような事実はなく、仮に問題の桝が東側のものではなく西側のものであつたとしても、どちらのためますも井戸Aからは同一方向(東側)にあるので、前記の如く地下水の流れる方向から考えて地下水に混入した肝炎ウイルスが井戸Aに到達することはありえず、仮に到達するとした場合の日数についても、井戸に数メートル近くなるだけでは、その差は両ためますから井戸までの各距離に対比すればわずかであるから、やはり一〇〇日以上を要することは確実であり、二次感染と三次感染の発病時期の間隔日数をはるかに超えていることが明らかである。

そしてどういう水であれ一旦地下水になつた以上はその流れ道に従つてしか流れず、しかも浅層地下水は一つしかなく仮にあつたとしても同じ方向にしか流れないというのであるから、たとえためますと汚水管の接合部分からし尿が漏れてそれが地下水に混入したとしても、その中に含まれた肝炎ウイルスが井戸Aを通じて児童の体内に入るのは一〇〇日以上も後ということになるのである。

そうだとすれば、高松説は、当初から水系感染説を想定していたところにたまたまためますの欠陥が発見されたので、地下水に関する学問的分析を行うことなく、一般常識論を基に安易にそれが原因であるとしたものといわざるをえない。

3 水系感染を主張する高松教授の見解は被告が前記三2で述べるように明らかな誤りや数多くの疑いがあるところ、本件訴訟においてそれが解明されていないことは明らかであるから、右見解を前提とする限り、原告らの請求は失当である。

五  原告の再反論(主張の補充)

1  井戸Aのし尿汚染

(一) 井戸Aの水質検査の結果は、記録上昭和四五年七月七日以後のものが明らかにされている(甲第二五号証)。昭和四五年七月七日、昭和四六年六月一日に行われた水質検査は基山小学校内に存在する井戸について井戸別の検査を行つており、井戸Aは二回とも飲料不適とされ、昭和四七年以後の水質検査は、井戸Cを別として、複数の井戸について一つの検査のみが行われたのであるが、昭和四七年六月一二日、昭和四八年一〇月一日、昭和五〇年六月二三日に行われた水質検査は飲料不適、昭和四八年五月二一日、昭和四九年七月九日に行われた水質検査のみが飲料水として使用適という結果であつた。

(二) さらに、基山小学校では、昭和五〇年六月二三日以後本件肝炎流行後の昭和四二年七月一八日までの二年間全く井戸水の水質検査が行われていない。

本件肝炎の多発中である昭和五二年七月一八日に行われた久留米大学医学部教授谷川久一を中心とする井戸Aの水質検査の結果、井戸Aの水がし尿汚染されており、飲料不適であることが明らかにされた。久留米大学医学部石井勲らは当時の井戸Aの水の調査結果につき、「下水なみ」という言葉を使い、汚染のひどさを指摘している。

(三) 右によれば、井戸Aは遅くとも昭和四六年六月以後汚染がひどく飲料不適とされ、しかも当時の検査結果によつても大腸菌に関する検査に強い陽性が示され、井戸Aは当初よりし尿汚染されていた可能性が強い。小学校の飲料水が飲料不適とされた以上、被告は当然汚染の原因をつきとめ汚染を取り除くとか、殺菌装置を充実させるとか適切な処置をとるべきであつたのに、それに対し何らの適切な処置をとらずに長期間放置した。その結果井戸Aの水は昭和五二年七月頃は「下水なみ」に汚染されたまま児童の飲料に供されていた。

2  井戸Aのし尿汚染と本件肝炎の発生

(一) A型肝炎のウイルスの感染経路については、人と人との接触感染、食物感染、血液感染、水系感染等が知られているが、本件肝炎の流行が水系感染であることは、本件肝炎に関連した総ての専門家の認めるところである。

(二) 本件肝炎の流行は水系感染であり、井戸Aはし尿に汚染されており、児童の飲料に供されていたので、井戸Aの水の汚染が本件肝炎流行の原因であつた蓋然性は甚だ強いので、被告が本件肝炎の感染経路が水系感染であることを否定するか、水系感染につき有力な他原因を主張立証しない限り、この蓋然性はくずされないものである。

(三) さらに、久留米大学医学部教授高松誠は井戸Aの水と本件肝炎発生との疫学的因果関係を十分に立証している。

3  被告の反論1について

(一) 被告は地質学的な調査を行い、欠陥のあつたためますから井戸Aまで地下水が浸透しないことの立証を試みているのであるが、被告の主張する欠陥ためますは井戸Aの汚染源の有力な一つであるにとどまり、唯一の汚染源とは考えられない。それ故、たとえ被告主張のためますから流出した汚物が井戸Aに流入しないということが立証されても、それは被告主張のためますが汚染源ではないことが立証されたにとどまり、井戸Aが本件肝炎の発生源でないことが立証されたことにはならない。前記のとおり、井戸Aが汚染源であることは高度の蓋然性を有しており、疫学的にも立証されている。前記高松教授は井戸Aの水の飲用と患者の発生の相関関係から疫学的因果関係を認定しているのであり、被告主張のためますの欠陥は疫学的因果関係の結論の正しさを裏付ける一つの根拠として位置づけているにすぎない。このように高度に立証された蓋然性を否定するためには、被告は被告主張のためますのみならず、当時の基山小学校のトイレ及び浄化槽全般にわたる総点検をし、基山小学校内のトイレに排出されたし尿が決して井戸Aに混入しなかつたという立証をしなければならない。

(二) 昭和五二年七月当時、基山町の流行性肝炎の多発は全国的なニュースとして世間の注目をあび、被告も流行性肝炎の発生源をつきとめ、一日も早く発生の防止をする重要性を認め、基山町流行性肝炎対策本部を組織した。昭和五二年七月に行われた浄化槽等の設備の点検は肝炎発生の原因をつきとめるため、右対策本部が中心になつてなされたものであり、その調査結果は当然に文書として残されていなければならない。しかし、被告は原告らの再三の要求にもかかわらず、未だに総点検に関する文書を明らかにしない。それ故原告らは当時行われた総点検がどのような規模で、どのような方法でやられ、その結果が全体的にどうであつたのかを知ることができない。被告のこのような態度は、現場を掘り返し、証拠隠滅をはかつたと解されてもやむを得まい。

被告主張の欠陥ためますは、明らかにされた一つの欠陥ためますであり、その他に欠陥がなかつたという立証は全く尽くされていない。

(三) さらに、高松教授は、昭和五五年一二月二六日基山小学校で行われた検証に際し、被告主張のためます以外に、検証調書添付見取図第五図等の印のついている箇所にもためますが存在し、そのためますにも同様な欠陥があつたことを昭和五二年当時確認した旨指摘した。右検証には、被告、補助参加人以外に被告側の工事関係者が立会つていたが、彼らは高松教授の指摘した場所にはためますは存在しなかつたと断言した。しかし、当日の検証において高松教授の指摘した場所を掘り下げた結果、ためますのコンクリート破片が発見された。この際も、高松教授の記憶の正確さ、被告の証拠隠滅に終始する態度がきわだち、被告主張の欠陥ためます以外にも浄化槽の欠陥が存在することが推測された。

(四) 被告提出の水文調査(乙第一四号証)について

(1) 右水文調査は、被告主張の欠陥ためますの地下5.5メートルに存在する水が井戸Aの底である井戸Aの地下5.5メートルの地点まで移動する可能性及び日時を測定している。右調査は、本件地層の地下5.5メートルの地点には浅層地下水が存在し、その水流は井戸Aから被告主張のためますの方向に流れているので、ためます直下の浅層地下水が井戸A直下に流れることは考えられない。仮に流れると仮定しても一五八日の時間を要すると結論している。

(2) 右調査は、被告主張の欠陥ためます直下5.5メートルの浅層水流が井戸Aに流れる可能性とその場合の日時を調査したもので、ためます付近の地表近くに流出したし尿が井戸Aに到達する可能性や日時を調査したものではない。右調査を実施した神長ボーリング株式会社の代表取締役古賀本行も被告主張のためますの地表の雨水が本件井戸の底部に到達する可能性や時間を鑑定したものではないことを明言している。

(3) 右古賀本行の証言によつても一般的に言つて雨水の三〇パーセントは地下を通り、三〇パーセントは蒸発し、後四〇パーセントが地表を流れる。本件調査は、雨水の三〇パーセントにあたる浅層地下水に流入した水についての鑑定であり、四〇パーセントの地表を流れる水については全く調査をしていない。しかも、三〇パーセントの浅層地下水に到達する水の中で地表を流れず、真直ぐ被告主張のためますの5.5メートルに浸透する水は何パーセントあるだろうか。本件ためます付近に降つた雨の多くが地表を伝い一定距離四方に広がりその後地下に浸透していくことは常識である。又、右調査は、地下に浸透した水がどのような経路を経て浅層地下水に入り込むかの調査は全く行つていない。地下に浸透した雨水が地下の地質等の影響で様々な経路をとり流入することは常識である。

(4) 以上のとおり、右調査は被告主張のためますのし尿が井戸Aに流入する可能性のある一つの経路についてのものであり、ためますのし尿が井戸Aに流入するすべての可能性についての鑑定ではない。しかも、右調査においても、井戸Aが揚水している場合にはためます直下の地下水が一五八日後に井戸Aに流入することを否定していないのである。右によれば、雨水が地表を伝わつて流れる可能性のあること、地下を斜めに井戸Aの方向に流れて浅層地下水に入る可能性のあることを考えあわせれば、少くとも井戸Aの揚水時には被告主張のためますの汚物が多量に井戸Aに混入する可能性のあることを裏付けている。

第三  証拠〈省略〉

理由

第一  本件災害の発生

一  流行性肝炎発生の概要

1昭和五二年五月から九月にかけて佐賀県三養基郡基山町において流行性肝炎が発生し、少くとも基山町立基山小学校の児童四一一名、同小学校職員一一名、基山中学校生徒一〇名、保育所・幼稚園児五名、高校生・一般住民四四名、合計四八一名が右肝炎に罹患したこと、原告番号一番ないし一三番の原告は当時基山小学校に在学中の児童で右肝炎に罹患したこと、同番号一四番、一五番の原告は、同番号一一番ないし一三番の原告の母親及び父親であること、以上の事実は当事者間に争いがない(但し、〈証拠〉によれば、右肝炎患者数は、正確には基山小学校の児童四一五名、同職員一二名、基山中学校生徒一〇名、保育所・幼稚園児五名、高校生・一般住民四五名、合計四八六名であると認められる)。同番号一四番、一五番の原告が右肝炎に罹患したか否かについては後に(第三、二、2、3)検討を加えることとする。

2〈証拠〉によれば、以下の事実が認められ、同認定に反する証拠はない。

(一) 昭和五二年六月一六日、基山小学校において急性肝炎の患者が多発しているという届出が地元開業医から鳥栖保健所長になされたが、そのときにはすでに基山小学校の児童二九名と職員一名が久留米大学医学部附属病院や近隣市町村の病院に入院していた。

(二) 基山町における本件流行性肝炎の発生状況は、基山小学校の児童及び職員の発症が同年六月六日に始まり、六月二〇日をピークとして以後漸減し、八月八日発症の患者をもつて終息し、基山小学校児童の家族の発症が同年七月初旬に始まり、九月末をもつて新患者の発生はなくなり、肝炎の流行は終息するという経過をたどつた。

二  肝炎の基礎的知見

〈証拠〉によれば、以下の事実が認められる。

1肝炎は、例えば臨床的な症状特に発症後の経過に着目して、急性肝炎、慢性肝炎、劇症肝炎に分類されたり、感染原因によりウイルス性肝炎(以前はカタル性黄疸といわれていた)と薬物性肝炎に分けられたり、その他分類の仕方により様々に分けられるので整合的な説明は困難である。そこで本件で問題となる急性ウイルス肝炎に限つてみていくと、同肝炎は従来から起因ウイルスの相違によつて流行性肝炎と血清肝炎とに分けられていたが、HB抗原の検索によつてHB抗原と関連する急性ウイルス肝炎をB型肝炎(血清肝炎)、その他のものをA型肝炎(流行性肝炎)とよぶようになつた(一九七三年にA型肝炎のウイルスも発見され、A型肝炎、B型肝炎ともそのウイルスを顕微鏡でとらえることが可能となつた)。

A型肝炎は、罹患者の便とともにA型肝炎のウイルスが排せつされ、便により汚染された水や食物を介して、他の人間に伝染するという感染経路をたどるものであり、B型肝炎は、血清肝炎と呼ばれるとおり、B型肝炎に罹患した人の血液を介して、主に輸血により伝染するという感染経路をたどるものであるとされている。ところが、B型肝炎ウイルスの存在しないことを確認した上で輸血した場合にも、肝炎にかかる人がいるということから、A型でもなく(A型肝炎は輸血では伝染しない。)、B型でもない肝炎が存在することが判明した。これが一般に非A非B型肝炎といわれているもので、そのウイルスは未だ発見されておらず、感染経路も解明されていないが、経口ではなく、むしろB型肝炎に似たものであるとされている(なお、非A非B型肝炎の中にも二、三種類あるといわれている。)。

2A型肝炎は、そのウイルスが体内に入ると、早い場合は二週間、通常は一か月ぐらいの潜伏期の後発病し、発病のとき殆んどすべての罹患者は三八度以上の発熱を伴い、風邪に似た症状や下痢・嘔吐などの症状を呈するが、慢性化はしにくく、子供で一ないし二か月、大人でも三か月も経過すれば治癒するとされている。

これに対し、B型肝炎は、そのウイルスが体内に入つても、潜伏期が二か月ぐらいとA型肝炎よりもやや長く、発病のときの症状もA型肝炎とは少し異なつているが、三か月ないし四か月で正常に戻るのが通常であるとされている。B型の慢性肝炎もあるが、これは、体内に常時B型肝炎のウイルスをもつた人が日本人の中に約三パーセント存在し、そのような人の場合に慢性肝炎、肝硬変に症状が進行するものである。

非A非B型肝炎は、発病したときの症状はA型、B型に比しやや軽く、輸血をした人、輸血をしない人いずれも罹患するが、輸血をした人で一年たつても肝機能が正常化しないのが約四〇パーセント、輸血をしない人で半年ないし一年で治らないのが約五〇パーセント存在し、肝炎の中で最も慢性化しやすいとされている。

3A型肝炎は、一度罹患すると免疫ができ、昭和五七年当時四〇歳以上の人は殆んど抗体をもつていると考えられている。すなわち、第二次大戦前後の衛生状態の悪い時に、殆んどA型肝炎に罹患し、その抗体をもつている四〇歳以上の人は、A型肝炎に再度罹患することはない。

4肝機能の低下がある場合には、血清トランスアミナーゼ(GOT、GPT)の活性値が上昇するとされている。血清トランスアミナーゼの活性値を測定するために、GOT、GPTという二つの検査が行なわれ、GOT、GPTの各値が出される。GOT、GPTの正常値はそれぞれ、約三〇、約四〇とされている。

A型肝炎においては、血清トランスアミナーゼの値が上昇する期間がB型肝炎よりも短かく、急激に上昇し下降するという経過をたどるとされている。

以上の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

三  本件流行性肝炎の症状など

〈証拠〉によれば、以下の事実が認められる。

1本件流行性肝炎の大流行に先立ち、A型肝炎の初発患者と考えられるものは、昭和五二年四月二日発症の基山町の三八歳の男性である。その症状は、高熱、食欲不振、黄疸というもので、同年四月九日地元の医院に入院し、五月八日退院した。同人は、血清HA抗体が六月二一日採血のもので、×五〇〇〇と高値であり、A型肝炎であると診断された(一次感染)。

2次いで、右男性患者の発症から約四〇日を経過した同年五月一二日及び一三日に、その患者の長女(基山中学校二年生)と次女(基山小学校三年生)が発症し、その症状は、いずれも発熱、腹痛、全身倦怠感、黄疸というものであり、肝機能検査でも急性肝炎を思わせる所見で、五月一四日入院し、六月二九日、一八日それぞれ退院した。右は家族内感染であつた(二次感染)。

3他方、同年五月一一日には、右家族とは接触のなかつた基山小学校六年生の男子生徒が発症し、五月二〇日入院し、六月一七日退院した(二次感染)。

そして、前記のとおり、同年六月初旬から基山小学校を中心として爆発的に流行したが(三次感染)、この流行は、A型肝炎ウイルスの潜伏期からみて、右二次感染者と密接に関係していたものと考えられる。

同年七月初旬から基山小学校児童の家族に肝炎の発症がみられた(四次感染)。

4本件流行性肝炎の患者は殆んど発病後二か月ぐらいで治癒し、GOT、GPTの各値は発病当初に急激に上昇し、四〇〇ないし五〇〇、あるいは一〇〇〇以上というものもあり、その後下降するという経過をたどつた。発病時における症状は、発熱、全身倦怠感、食欲不振、黄疸、腹痛などであつた。

四  被告基山町、鳥栖保健所、基山小学校の対応

〈証拠〉によれば、以下の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

1昭和五二年六月二〇日、基山町、鳥栖保健所及び基山小学校は、久留米大学医学部第二内科(主任谷川久一教授)に対して、肝炎流行の疑いがあるということでその調査と対策を依頼した。谷川教授は同日得た情報から肝炎の多発であることを確認した。同月二一日より基山小学校は休校になり、基山町には基山町流行性肝炎対策本部(本部長に、基山町長大石亮哲、副本部長に、同町助役天本種美、同町議会議長、同町教育長、相談役に、久留米大学医学部第二内科谷川久一教授、鳥栖保健所古城所長、久留米大学環境衛生学高松誠教授、三養基鳥栖地区医師会古賀会長、同池田地区代表、佐賀県保健環境部石橋次長、県教育庁の課長という構成であつた。)が設置され、防疫カット活動が開始された。

久留米大学医学部第二内科は、同月二一日より二五日にかけて、基山小学校の児童の検診と肝機能検査のための採血、便の採取を実施した。同月二一日には、東京大学医学部第一内科鈴木宏、東京都臨床医学総合研修所真弓忠助教授が現地で指導を行い、数日後には右研修所で基山小学校児童の五名の便からA型肝炎ウイルスが検出され、その後一八名の便からもA型肝炎ウイルスが検出された。また、右肝機能検査でも、明らかな症状が出て欠席している児童は検査の対象に含まれていないにもかかわらず、八七四名中一一九名にGOT、GPTの明らかな上昇が認められた。

2肝炎流行の対策は前記対策本部が中心となつて行われたが、一方で基山小学校に爆発的な発生をみた原因の調査が前記谷川久一教授の要請により鳥栖保健所の協力で久留米大学医学部環境衛生学教室によつて行われた。

右依頼を受けた久留米大学医学部環境衛生学教室(主任高松誠教授)は、同年六月下旬から七月中旬にかけ基山小学校及び隣接する基山中学校、基山幼稚園の井戸水の水質検査を実施し、同年九月に基山小学校へ児童に対し別紙調査表によるアンケート調査を実施した(その詳細は後記第三、一、5のとおりである。)。

3右水質検査の結果、別紙基山小学校給水系統図井戸Aの水のし尿汚染が疑われたので、同教室から前記対策本部にその旨報告がなされ、対策本部は同年八月直ちに浄化槽周辺を掘削して調査したが、その結果し尿浄化槽への導入管とためますの接合部分に工事の欠陥のあることが発見された。すなわち、管理棟北側の浄化槽の東側のためます(検証見取図第五図)への導入管と同ためますとの接合部分(三か所)に隙間があり(隙間があつたことは当事者間に争いがない。)、コンクリートによる密封工事が行われていなかつた。

右ためますの欠陥部分については、直ちに補修工事がなされ、井戸Aについては消火用水専用として利用されるよう工事がなされた。

五  本件流行性肝炎の終息、被害者らの対応

〈証拠〉によれば、以下の事実が認められる。

1昭和五二年八月二五日前記対策本部は、児童の一次感染は終息し、散発的に発生した二次感染の発病も同月中旬にはなくなり、三次感染の発生もきわめて少ないと推定されるとして、流行性肝炎の「事実上の終息宣言」を出し、基山小学校は、同年九月から開校となつた。その後、同年一一月一七日には「終息宣言」を出し、同対策本部は解散した。

2本件流行性肝炎に罹患した児童の父兄らは、同年七月中旬ころ、肝炎家族連絡会(会長堀田一治)を組織し、本件流行性肝炎の原因を究明し、責任の所在を明確化し、子供を安心して学校に出せる環境を作るという目的をもつて活動を始めた。肝炎に罹患した児童四〇五名の父兄が右連絡会に参加した。

3右肝炎家族連絡会は、昭和五二年八月三一日基山町に対し公開質問状(甲第一八号証)を出し、本件流行性肝炎の原因究明がいかに行われているかを質した。右公開質問状の内容は、「1原因究明の中間報告(調査機関原文)を公表しますか 2原因が可能性示唆のまま開校するのでしようか 3責任の所在はどこにあり管理組織を如何に改善したか 4国、県にどのように働きかけ実情をうつたえましたか 5慢性肝炎等の後遺症にどう対応しますか 6開校して健康児童の罹患や治癒患者の再発はありませんか 7施設改善前後の水質検査は公表しますか 8肝炎発生以前の学校・PTAの改善要望にどう応えてきましたか 9今回の施設改善は何処をどの様に改善しましたか」というものであつた。

右公開質問状に対し、基山町は同年九月一五日公開質問状に対する回答という書面(甲第一九号証―書込部分は除く。)により回答した。この回答により、基山町は初めて、同年八月一〇日付で久留米大学医学部環境衛生学教室高松誠教授の「基山町流行性肝炎多発に関する水系面からの調査検討報告書」(甲第一号証)という原因究明に関する中間報告の一部を公表するに至つた。

4同年八月二五日前記のとおり対策本部は、「事実上の終息宣言」を出していたのであるが、これに対し肝炎家族連絡会は、当時も新たな患者が発症しており、入院患者も相当数いたことから、原告の究明も進んでいない段階での終息宣言は時期尚早であるとの考えをとり、基山小学校が開校された同年九月一日、二日の両日基山小学校の児童の父兄が児童を登校させない(登校拒否)という態度をとつた。その児童数は、九月一日が一四二名(うち理由を明確にして登校拒否をしたのが三九名)、九月二日が七九名であつた。

5右肝炎家族連絡会は、同年九月二五日、本件流行性肝炎の医療費を完全に公費でもつてもらいたい、本件流行性肝炎に罹患した患者及び家族の精神的、経済的打撃に対する救済をしてほしいとの内容の基山町議会に対する請願を行つた。右請願は、本件流行性肝炎発生以前において、基山小学校の用水問題、衛生状態について同小学校のPTAなどから、町の教育長へその改善を求めて陳情していたのに、何ら改善の措置がとられていなかつたことから、基山町に責任があるという患者側の言い分を町議会に伝えるという狙いで行われた。

この請願が出された時点では、基山町は道義的責任は認めるとの態度をとつていた。

6右肝炎家族連絡会は、医療費の全額公費負担、患者及び家族の精神的、経済的打撃の救済を求めて、前記対策本部と交渉したのであるが、前者については、基山町が全額負担することになつたが、後者については、基山町が同年七月初旬に見舞金として入院患者に対して三万円、通院患者に対して一万五〇〇〇円を支給するにとどまつていた(後に総額九〇〇万円が上積みされた。)。

そこで、右肝炎家族連絡会の会長である堀田一治ら九名は、昭和五三年四月二七日鳥栖簡易裁判所に対し基山町を相手として損害賠償請求の調停の申立をし、精神的、経済的損害の賠償を求めたが、同年六月三〇日の二回目の調停期日において、基山町側が本件流行性肝炎発生の因果関係が不明であるとして、申立人らの請求金額の六〇パーセントを支払う旨の調停案を拒否し、決裂するに至つた。

7同年九月二〇日基山町議会から肝炎家族連絡会に対し、町議会が円満解決のために斡旋に入るとの申入があり、議会による斡旋の結果、昭和五四年三月一〇日大部分の被害者と基山町との間に和解が成立した。右議会による和解斡旋の申入は、「因果関係については和解の内容から除く。行政的責任は時期をみて町が連絡会に陳謝する。議会は救済ということで円満解決にのぞむ。」という内容であり、連絡会において、因果関係を棚上げにするという点については何らの解決にもならないのではないかとの見解もあつたが、基山町議会が全員一致で、円満解決を図つてくれないかという意向を示したこと、和解を拒否した場合の町内世論の動向、行政的責任について盛り込まれていること、訴訟に踏み切つて解決が長びくことは望ましくないことなどから連絡会も和解に応じた。

しかし、基山町側が本件流行性肝炎の原因、因果関係について、定かではないとの態度に終始したことから、それに不満をもつ一部の患者(本件原告ら)は、前記高松誠の報告書により、本件流行性肝炎の発生が基山小学校における用水管理、衛生管理の落度を原因としている、すなわち、基山小学校の井戸水がし尿により汚染されていたことが原因であるとの立場から、それを明確にすべく本訴を提起した。

以上の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

第二  因果関係(総論)

一  本件流行性肝炎の発生原因についての久留米大学医学部環境衛生学教室高松誠教授の見解など

〈証拠〉によれば、以下の事実が認められる。

1前記第一、四、(二)のとおり、肝炎流行の原因調査を依頼された久留米大学医学部環境衛生学教室は、肝炎の患者の中心が基山小学校の児童であつたことから、その原因は基山小学校に関係があるものと考え、前記水質検査及び後記疫学調査を実施した。

その結果、昭和五五年五月二〇日「佐賀県基山町でおこつた流行性肝炎の発症要因についての見解」という書面(甲第五号証)が作成された。右水質検査及び疫学調査の概要は、以下のとおりであつた。

2流行性肝炎は、特定の食品や飲料水により発生することが多い。基山小学校では学校給食を実施しているので、給食系統を通じて集団発生の可能性が存在する(食品では、牛乳、生貝、カスタード、サンドウイッチ、オレンジジュース、焼豚などによつて起こつた事例、肝炎ウイルスを持つた調理員によつて調理された食品が汚染されて起こつた事例があつた。)が、本件においては、給食室に搬入された給食用のパン・牛乳などの食品汚染の情報は得られず、給食調理員とその家族が昭和五二年五月二〇日前後に肝炎に発症したという事実はなかつた。また給食調理室で使用される井戸水が汚染されていて、食品あるいは食器を汚染し、間接的に経口感染を起こす可能性は存在するものの、給食系統に原因があるとすれば、全学年ほぼ同じ暴露を受けている筈であるが、実際には発症率は三年生と六年生が高く、一年生と四年生が低いことから、給食系統を介しての感染の可能性は否定された。

次に、水系感染としての飲料水による流行が考えられた。基山小学校の飲料水及び用水には井戸水が使用されていたが、塩素滅菌装置が故障がちであり、保健所で行なつた水質検査の成績で飲料水として不適当な井戸水であつたこと、学校での飲用は禁止され水筒を持参する者の多い一年生の発症率が低かつたことから水系感染の可能性が存在すると考えられた。

さらに、接触感染の可能性も考慮された。

以上の基本的観点に立つて、久留米大学医学部環境衛生学教室は、疫学調査を実施した。

3  第一、四、(二)のとおり久留米大学医学部環境衛生学教室は、昭和五二年六月下旬から七月中旬にかけ基山小学校及び隣接する基山中学校、基山幼稚園の井戸水の水質検査を行つた。その結果、基山中学校及び基山幼稚園の井戸については汚染源侵入の疑いはなかつた。

基山小学校には、肝炎流行当時上水道がなく井戸水の給水を行なつていたが、井戸水源は、別図基山小学校給水系統図のとおり、管理棟西側(井戸A)、体育館裏(井戸B)、給食室西側(井戸C)、プール側面(井戸D)の四つの井戸が存在した。

右教室は、六月三〇日、七月一一日、七月一八日の三回に亘り、右四つの井戸について水質検査を実施したが、その結果井戸Aについては以下のとおりであつた。

井戸Aは、浅井戸で従来防火用水として使用されていたが、井戸Bの水量が不足したために管理棟への給水に転用されて学校用水として使用されていた。アンモニア性窒素、亜硝酸性窒素、硝酸性窒素の含有が高く、大腸菌群が検出されたので、し尿によつて汚染されており、飲料水としては不適であつた。

すなわち、井戸Aは、アンモニア性窒素、亜硝酸性窒素、硝酸性窒素(窒素三態)が高く、これらは、基山小学校に隣接する中学校及び幼稚園の井戸からは殆んど検出されず、井戸B、C、Dに比べてもかなり高い値を示した。右窒素三態は、し尿汚染の有無を決定する有力な指標であり、井戸Aから大腸菌群が検出されたことと併せ考えるとし尿による汚染は決定的であると判断された。

4そので、前記第一、四、(三)のとおり久留米大学医学部環境衛生学教室から前記対策本部に井戸Aのし尿汚染が疑われることが報告され、昭和五二年八月対策本部では直ちに浄化槽周辺を掘削したが、その結果、本件し尿浄化槽への導入管とためますとの接合部分に工事の欠陥が存在することが明らかとなつた。すなわち、管理棟北側の浄化槽の東側のためます(検証見取図第五図)への導入管と同ためますとの接合部分(三か所)に隙間があり、コンクリートによる密封工事が行われていなかつた。また対策本部の調査によつても他に汚染源を発見することができなかつた。

この部分と井戸Aとは約二七メートル離れており(検証の結果による。)、し尿が導入管から漏れて土壤汚染がおこり、地中へ浸透し、雨で地下水位の高い時し尿の各成分が浸出し、地下水と混じつて井戸Aに流入した可能性が高いと考えられた。

右ためますの欠陥部分については、直ちに補修工事がなされ、井戸Aについては消火用水専用として利用されるよう工事がなされた。流行性肝炎の終息後二か月を経過した昭和五二年一一月三〇日井戸Aにつき再度水質検査が実施され、窒素三態は依然として高かつたが、アンモニア性窒素が高いだけで、亜硝酸性窒素、硝酸性窒素はともにマイナスであつた。このことは、欠陥部分の補修後三か月を経過し、し尿の漏れがないため、還元作用により硝酸性窒素、亜硝酸性窒素がなくなり、アンモニア性窒素になつたものと考えられた。すなわち、新たなし尿汚染がなくなつたものと考えられた。

5久留米大学医学部環境衛生学教室は、昭和五二年九月別紙調査表を作成して、疫学調査を実施した。調査票の回収率は九八パーセントであつた。その結果により基山小学校の児童を肝炎の発症群と非発症群とに分け、学校での行動その他調査票の項目別に両群の間に有意差があるか否か検討され、次のような結果が得られた。

(一) 学校の水を頻回に飲用した者は発症率が高い。

(二) 水筒をいつも持つてきて、その水で足りた者は発症率が低い。

(三) 男子が女子に比べて発症率が高い。

(四) 放課後、スポーツをしていた者は発症率が高い。

(五) 食前の手洗い、大便後の手洗い、小便後の手洗い、ハンカチの持参をよくしていた者は発症率が低い。

(六) 家族内に発症者のいる者は発症率が高い。

(七) 使用した便所により発症率に差がある。

(八) 学年別には、六年生と三年生が最も発症率が高く、五〇パーセントを超え、次いで五年生と二年生が四〇パーセント台、次いで四年生が約三〇パーセント、一年生が約一〇パーセントで最も発症率が低い。

以上の結果、(八)のとおり、発症率に学年差が認められたので、(一)ないし(七)の児童の行動と発症の有無との関係について学年別に検討したところ、各学年に共通して有意差が認められたのは、「学校の水の飲用」のみであつたため、学校の水の飲用が主要な発症要因と推測された。

6基山小学校の給水系統は、前記別図のとおりであり、井戸Bの水は本館屋上(三階)にあるタンクBに上げられると同時に、タンクBを経由して管理棟屋上(二階)にあるタンクAにも配水されていたが、前記のとおり水不足のため従来防火用として使用されていた井戸Aの水を管理棟への配水に転用し、タンクAに流入するように工事されていた。そこで、本件流行性肝炎発生当時には、タンクAには、井戸Aと井戸Bの両方の水が流入していたことになる。

そこで、久留米大学医学部環境衛生学教室は、どの水を飲んだことが発症の要因であるのかを検討し、タンクAからの給水栓をとし、タンクBからの給水栓をとすると、学校の水を飲まなかつた者の発症率は8.6パーセント、のみを飲んだ者の発症率は38.7パーセント、のみ飲んだ者の発症率は63.6パーセント、とも飲んだ者の発症率は63.1パーセントという結果を得た。すなわち、の水を飲んだ者が最も発症率が高く、の水のみ飲んだ者でも飲まない者に比べると発症率が高かつた。

さらに、各クラス別にの水を飲んだ者の割合と発症率について検討が加えられ、の水を飲んだ者の割合が高いクラスに発症率が高いという相関がみられ、クラス別、学年別に発症率の差があつたのは、の水を飲んだ者の頻度によつて説明がつくことが明らかとなつた。そして、の水の飲用の有無は、教室との位置関係、水筒の持参状況、児童の行動範囲の広さなどに関係していると認められた。また、の水のみ飲んだ者でも、学校の水を飲まなかつた者に比べ発症率が高いことの原因としては、実際にはの水のみでなく、の水を飲んだのに、のみ飲んだと答えたなど、児童の記憶違いによるアンケートの誤差、タンクAとタンクBの高さが大きくは違わないため、井戸Aの水がタンクBに逆流して、の水が一部汚染された可能性があることの二点が考えられた。

7さらに、発症に関係のみられた項目(学校の水の飲用、水筒の持参、性別、スポーツなど)及び便所の位置(前記11)の二五項目について、それぞれの項目が他の項目の影響を受けずに純粋にどの程度発症の有無に関係があるかをみるため、各項目について発症の有無との偏相関係数が算出され、その結果、学校の水の飲用、飲んだ水、水筒の持参状況という順で偏相関係数が高く、本件流行性肝炎の発症に水が最も大きく関与していることが明らかとなつた。その他、小便後の手洗など個人衛生の問題もいくぶん関与していると認められたが、肝炎の発症に男女差、家族内発症者の有無による差、スポーツの状況による差がみられたのは見かけ上のものであることが明らかとなつた。

次に、不顕性感染者(不顕性感染とは、病原体の侵入をうけ感染が成立しても、定型的な臨床症状を示さないか、または外見上全く症状が現れずに終始する感染をいう。)について検討がなされ、不顕性感染者は非発症者の9.6パーセントであること、発症率の高い学年ほど不顕性感染の割合が高いことが明らかとなり、の水を飲んだことが不顕性感染の原因であると考えられた。

なお、学校の水を飲まなかつたのに発症した者は一七名で、発症者全員の4.9パーセントであつたが、これらの者については接触感染の可能性があると認められた。

8基山小学校においては、「生水を飲まないこと」、「水筒を持参すること」、「手洗いの励行」など、日常の保健衛生指導がなされていたが、十分に実行されていたものとは認められなかつた。

9基山小学校側から特殊学級の児童六名が全員発症していないという事実について疑問が出されたので、検討が加えられたが、確率計算上は一二パーセントの確率で起こり得るものであることが明らかとなつた。

10以上により、久留米大学医学部環境衛生学教室は、基山小学校における本件流行性肝炎の集団発生は、井戸AがA型肝炎ウイルスによつて汚染され、この井戸の水が学校用水として一部使用され、これを飲用したことによつて起こつた水系感染が主体をなしているという結論に達し、そして、井戸Aの汚染は、し尿浄化槽(前記のとおり導入管とためますの接合部分)の工事の欠陥と水の衛生管理の不十分さが原因であると判断した。

以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

なお、〈証拠〉によれば、井戸Aは昭和四二年一二月に本来防火用に作られたものであつたが、昭和四八年ごろから昭和五〇年ごろにかけて、基山小学校の学校用水の不足という問題が生じ、昭和五二年五月には、教頭が井戸Aの水をタンクAに揚水し、管理棟用水として使用するに至つたこと、それ以前の昭和四六年一〇月には、すでにタンクBの水不足のためタンクBとタンクAが接続されていたこと、本件流行性肝炎発生当時の給水系統は、別図のとおりであつたこと、井戸Aの水の保健所による水質検査については、昭和四五年七月七日、昭和四六年六月一日実施の二回は飲料不適という結果であり、昭和四七年以降は井戸別に検査はされておらず、どの井戸の水であるか特定はできないが、昭和四七年六月一二日、昭和四八年一〇月一日、昭和五〇年六月二三日実施の三回は飲料不適という結果であり、昭和四八年五月二一日、昭和四九年七月九日実施の二回のみが飲料水として使用適という結果であつたこと、しかも、昭和五〇年六月二三日から本件流行性肝炎の発生に至るまでは、水質検査は行なわれておらず、井戸Aには滅菌装置も設置されていなかつたこと、以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

二右によると、久留米大学医学部環境衛生学教室高松誠教授の本件流行性肝炎発生の因果関係についての推論は、基山小学校管理棟北側のし尿浄化槽(本件浄化槽)の東側のためますへの導入管と同ためますの接合部分(三か所)にすきまがあつたため、同部分から前記第一、三、2認定の二次感染者から排出されたA型肝炎ウイルスに汚染されたし尿が漏れて土壤汚染が起こり、地中へ浸透し、それが地下水に混じつて井戸Aに流入し、そしてA型肝炎ウイルスに汚染された井戸Aの水が学校用水として児童・職員の飲用に供されたために本件流行性肝炎が多発した(水系感染)、というものであると認められる。

三そこで、右推論の基礎となつているアンケート調査について検討するに、右アンケート調査は、前記のごとく本件流行性肝炎発生後数か月を経過した昭和五二年九月に実施されたもので、その正確性(記憶違い、記憶の変容等による誤答の可能性)に全く疑問がないとは断言できないのであるが、証人高松誠の証言によると右アンケート調査は基山小学校を通じてその児童に対して実施されたものであつて、同アンケート調査からの意図をもつて恣意的に行われたものと認めるべき証拠はないし、また、同年五月に学校の水を飲用したかどうかというアンケートについて言えば、基山小学校が休校となつた同年六月二〇日の直前の出来事であつて、同日以後同年八月までは休校が続いたため児童は登校してはいないこと、本件流行性肝炎の原因究明のためのアンケート調査であることは調査表自体から明らかであり、児童、教職員、児童の父兄も十分認識していたものと認められること、本件災害の重大性などを考えあわせると、相当に正確性は高いものと認めることができる。

よつて、この点に関する被告の主張は採用できない。

四つぎに、被告の反論1(補助参加人の主張2)について検討する。

〈証拠〉によれば、神長ボーリング株式会社の実施した基山小学校の水文調査の結果(それをまとめたものが乙第一四号証の二ページ以下)によると、基山小学校の敷地においては、地下水は北西方向から南東方向に流れており、本件浄化槽から井戸Aの方向へ流動しているとは考えられず、仮に本件浄化槽から井戸Aの方向へ流れるとしても到達するのに一五八日間を要することになることが認められるけれども、右古賀証言によれば、右調査は浅層地下水の流れ、方向、速度についてのものであり、地表付近の水が地下に浸透して浅層地下水に到達するまでの経路、速度等については全く調査の対象とされていないこと、地表付近の雨水等が地下に浸透して地下水に達するまでの経路、速度はその間の地層の状況によつて異なること、一般的には地下水に侵入した雨水等は地下の不透水層に沿つて流れるものであるから、その地層の状況が明らかにならないかぎり、その雨水等の流れる経路、速度等は判断できないこと、などが認められる。したがつて右水文調査の結果は、前記欠陥ためますから漏れたし尿が井戸Aに流入した可能性を全く否定する根拠とはなりえない。そして前記第二、一、4で認定したとおり、対策本部で調査した結果本件ためます以外に井戸Aのし尿汚染の原因を発見することができなかつたこと、右欠陥ためますの欠陥の補修工事を行つた結果井戸Aのし尿汚染が解消に向つたこと、などの事実と対比すると、右水文調査の結果は右欠陥ためますを井戸Aのし尿汚染源とする前記高松教授の推論を覆すに足りないといわなければならない。よつて被告の反論1は採用できない。

五つぎに、被告の反論2、(二)について検討する。

被告は、井戸Aから揚水された水はタンクAには入るが、タンクBに入ることはなく、タンクBの水はし尿により汚染されることはないので、タンクBの水のみを飲んだ児童が本件流行性肝炎に罹患することはあり得ないはずであるのに、前記「佐賀県基山町でおこつた流行性肝炎の発症原因についての見解」という書面(甲第五号証)によれば、学校の水を全く飲まないという児童とBの水のみを飲んだという児童との間に本件流行性肝炎の発症率に差があるというのであるから、井戸Aの水が本件災害の原因であるとするのは困難であると主張するが、本件全証拠を検討しても、井戸Aの水がタンクBに流入する可能性を否定し切ることはできないと考える。すなわち、〈証拠〉によつても昭和五二年五月当時、井戸AからタンクAに通じる配管の途中にタンクBへの分岐点が存在しなかつたものとは断定し難く(その当時の配管図等は提出されていない。)、〈証拠〉によれば、右分岐点が存在すれば、タンクBの位置がタンクAの位置より高いとしても、タンクBへ井戸Aの水が流入する可能性は否定し切れないものと認められる。

六 まとめ

以上検討したところによると、前記二の推論は、一応の合理性を有するものであると判断することができ、右推論が誤りであると断定すべき資料は存在せず、かつ、他に本件流行性肝炎の原因とみるべきものも認められない本件においては、当裁判所は、右二の推論は本件流行性肝炎の発生の因果関係を判断する上において十分信頼に値するものと考える。

第三  因果関係(各論)

一前記第一、一、1のとおり、原告番号一番ないし一三番の原告が本件流行性肝炎に罹患したことは当事者間に争いがない。

二そこで、原告番号一四番井敦子及び同一五番井邦歳が本件流行性肝炎に罹患したか否かについて検討する。

1原告井敦子について

原告井敦子が原告番号一一番井繁歳、同一二番井邦愛、同一三番井佐会子の母親であること、右原告番号一一番ないし一三番原告らが本件流行性肝炎に罹患したことは当事者間に争いがなく、〈証拠〉を総合すると、更に次の事実を認めることができる。

原告井敦子の長男である原告井繁歳(当時基山小学校三年生)は昭和五二年六月二〇日頃から全身倦怠感、食欲不振を訴え、同月二二日基山町内の池田医院(医師池田道生)で診察を受けた結果、流行性肝炎と診断されたこと、当時池田医院はすでに多数の流行性肝炎患者が殺到して病室が空いていなかつたため、原告繁歳は翌二三日福岡県筑紫野市の福岡県済生会二日市病院に入院したこと、次いで原告井敦子の長女である原告井邦愛(当時基山小学校二年生)が同年七月一日腹痛、嘔吐を訴え、池田医院で流行性肝炎と診断され、同月四日に前記二日市病院に入院したこと、同月二七日今度は原告井敦子の二女である原告井佐会子(当時基山小学校一年生)が食欲不振や発熱症状がみられ長男長女と同様流行性肝炎と診断され、同日池田医院に入院したこと(なお、これに先立つ同月七日から原告敦子の夫である原告井邦歳が嘔吐が激しく食欲欠損の状態となつて池田医院へ通院を開始しているが、同原告については次項で別途検討するので、ここでは触れないことにする。)原告繁歳及び原告邦愛はやがて漸次快方に向かいいずれも同月二九日前記二日市病院を退院したが、この間同原告らの付添いは主として原告敦子が行なつたこと、原告敦子は原告繁歳、同邦愛の退院後、今度は原告佐会子の付添看護にあたつていた(その頃原告敦子には未だ肝炎様症状は現われていなかつた)ところ、同年八月二五日頃から、発熱三八度、悪心嘔吐、肝腫二横指の症状が発現して同月二六日池田医院に入院したこと、そしてGOTが三六八、GPTが四六五に上昇し、池田道生医師から流行性肝炎と診断され、三二日間の入院加療生活の後、同年九月二六日退院したことが認められ、右認定に反する証拠はない。

右の事実によれば、原告井敦子はその子である原告繁歳、同邦愛、同佐会子のうちいずれかの原告を経由して本件流行性肝炎に罹患したものと認めることができ、これに反する証拠はない。

2原告井邦歳について

〈証拠〉によれば、以下の事実が認められる。

(一) 同原告は、昭和五二年七月七日嘔吐頻回、食欲缺損、肝腫1.5横指、圧痛著明等の症状があらわれ、池田医院(医師池田道生)に通院し、診察を受けた。当時、黄疸はあまり出ていなかつたが、嘔吐が激しいばかりでなく、下痢もあり、歩行も困難なほどであつた。しかし、同原告の長男、長女二女及び妻(原告番号一一番ないし一四番)がその頃いずれも流行性肝炎に罹患し、入院していたため直ちに入院することはできず、妻が退院した同年九月二六日の翌日から入院治療を受けることになつた。

同原告は、同年九月二七日から昭和五三年六月一日まで池田医院に入院し、昭和五四年一〇月ごろまで同医院へ通院して治療を受けたが、同年八月ごろには、GOT、GPTの各値が正常値となり、同年一〇月に治癒した。

(二) 池田医師は、同原告の通院当初、基山町に流行性肝炎が多発していたこと、同原告の家族に同肝炎の患者がいたことから、同原告も流行性肝炎ではないかとの疑いをもつた。しかし、発病当初においては、同原告には肝機能の低下はなく、一か月半ほど経過した後、GOT、GPTの各値が三七、六九とわずかに上昇した。その後、GOT、GPTの各値が同年九月一四日に六一、一一一となり、同年九月二六日に六七、一四〇となつた。

(三) その後、前記のとおり、同原告は同年九月二七日に入院したが、GOTの値が一〇〇以下に下がつたり、再び上昇したりの繰り返しであり、翌年の一月三〇日にはGPT一九七となり、同年二月半ばごろまでGPTが一〇〇台という状態が続き、同年四月に八〇台となつた。同年六月一日に退院した後も、GPT六〇ないし八〇という状態がほぼ継続した。

昭和五四年六月に、GOT四四、GPT五七という値になり、同年八月にGOT二五、GPT三一と正常値に戻り、同年一〇月には治癒した。

(四) 池田医師は、同原告について、A型肝炎ウイルスに対する抗体をもつているか否かの検査はしなかつたが昭和五二年八月一二日にHB抗原検索のテストを行い(同テストが陽性であればHB抗原に関連するウイルス性肝炎すなわちB型肝炎であるとされる。)、同テストの結果は陰性であつた。同原告の肝生検は、一度実施されたが確実な診断はつかなかつた。

以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

3前記第一、二(肝炎の基礎的知見)同三(本件流行性肝炎の症状など)認定の事実と右2認定の事実を前提として、原告梁井邦歳が本件流行性肝炎に罹患したか否かにつき検討する。

〈証拠〉によれば以下の事実が認められる。

(一) 基山町における流行性肝炎の患者は、殆んど発病後二か月ぐらいで治癒しているが、同原告は、発病後長期間にわたり肝機能の低下が継続した。

しかも、本件流行性肝炎の患者のGOT、GPTの値は、発病当初に急激に上昇し(前記のとおり四〇〇ないし五〇〇、あるいは一〇〇〇以上というものもあつた。)、その後下降するという経過をたどつたのであるが、同原告の場合は、発病当初は肝機能の低下はなく、一か月半ぐらいしてGOT、GPTの値がわずかに上昇したものの、急激に上昇することはなく、昭和五四年八月に至るまで、正常値に回復しなかつた。

(二) 同原告は、発病当初黄疸もあまりなく、発熱もなかつた。そして、前記のごとく肝機能が正常化するまでに二年あまりかかり、A型肝炎は慢性化しないとされているのに、長期化しており、慢性化していた。

(三) 同原告の発病の時期は、A型肝炎ウイルスの潜伏期間からみて同原告の子供から感染したとすれば、やや早すぎると考えられる。

(四) 同原告を診断した池田医師は、当初急性胃炎に対する薬(プリペラン)を投薬しており、同医師が同原告がA型肝炎であると確定診断を下したわけではなかつた。

以上の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

右事実と前記第一、1、2の事実及び2認定の事実を総合して判断すれば、当時基山町において流行性肝炎が爆発的に流行していたこと、同原告の家族(妻及び子供三人)が流行性肝炎に罹患していたことを考慮しても、同原告がA型肝炎に罹患したとは未だ認め難く、かえつて、〈証拠〉によれば、同原告は非A非B型肝炎に罹患していた可能性が高いものと認められる。

第四  責任

請求原因3(一)の事実のうち、井戸Aの水が保健所の水質検査の結果飲料不適とされたこと(その詳細は第二、一末尾認定のとおり)、井戸Aが国家賠償法二条の「公の営造物」であることは当事者間に争いがなく、右事実と前記第二に認定したところに照らすと、井戸Aの水のし尿による汚染は、公の営造物の「設置又は管理の瑕疵」に該当すると考えられるから、被告は国家賠償法二条により原告ら(原告梁井邦歳を除く。)の蒙つた後記損害を賠償すべき責任がある。

第五  損害

本件流行性肝炎に罹患した原告らのうち原告梁井敦子を除く原告らが罹患当時児童であり、健康でのびのびと豊かな資質を開花しなければならない時期にあつたこと、右原告らの居住する基山町が佐賀県の最東部に位置する閑静な田園都市であることは当事者間に争いがなく、〈証拠〉によれば、原告梁井邦歳を除く原告らか本件流行性肝炎に罹患したためそれぞれ別表一中各症状欄記載の症状を呈し、その治療のため前記池田医院、二日市病院ほかの医療機関に同入・通院期間記載のとおり(但し、原告架井繁歳の通院日数は七日間、同架井佐会子のそれは一〇日間である。)入・通院を余儀なくされたことが認められ、これに反する証拠はない。

そして、弁論の全趣旨及び経験則によれば、各原告ともその主張のとおり、通院雑費として少なくとも一日につき二〇〇〇円(但し、原告渠井敦子については一日につき一〇〇〇円)の割合による損害を蒙り、入院した者についてはさらに少くとも一日につき一〇〇〇円の割合による入院費及び一日につき三〇〇〇円の割合による付添費(但し、原告梁井繁歳については入院日数からいけば一一万一〇〇〇円となるのに請求額が二万一〇〇〇円にとどまるのでその額)を受けたことが認められる。そして右原告らが本件流行性肝炎に罹患したことにより精神的苦痛を受けたことはその感染源が本来児童の健康と生命の安全につき最大限に留意すべき学校であつたことからしても容易に推測されるところであるが、前認定の各原告の症状及びその程度、入・通院期間その他本件に顕われた諸般の事情を考慮すると、その精神的苦痛を慰藉するために相当な額はそれぞれ原告ら主張の額を下らないものと認める。

また弁論の全趣旨によると、右原告らはいずれも弁護士本多俊之、同河西龍太郎の両名を訴訟代理人に選任し、これによつて本件訴訟活動を行い、勝訴の場合に報酬を支払う旨約したことを認めることができるところ、本件事案の内容、訴訟追行の難易度、請求認容額等にかんがみる(原告ら主張の日から年五分の割合による遅延損害金を付することを併せて考慮する)と、右弁護士費用のうち原告ら主張の額をもつて被告に請求しうる損害と認めるのが相当である。

第六  結論

以上によれば、原告梁井邦歳を除くその余の原告らの請求はいずれも理由があるから認容し、原告架井邦歳の請求は理由がないから棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九四条、九三条、八九条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を各適用し、仮執行の免脱宣言は相当でないのでこれを付さないこととして、主文のとおり判決する。

(綱脇和久 森野俊彦 野尻純夫)

〔基山小学校給水系統図〕

検証見取図(昭和五五年一二月二六日実施)

第五図(北校舎、管理棟各一階平面図)

別表一

別表二

(単位万円)

氏名

入院費

付添費

通院雑費

慰謝料

弁護士費用

休業損害金

合計額

1.相島達也

二・四

七・二

一・六

二八・〇

三・九

四三・一

2.木下純子

三・二

一五・〇

一・八

二〇・〇

3.木下靖也

四・二

一二・六

三・六

四八・〇

六・八

七五・二

4.時ゆかり

六・〇

三〇・〇

三・六

三九・六

5.難波重典

二・九

八・七

五・二

四二・〇

五・八

六四・六

6.野方拓

三・四

一〇・二

二・四

三二・〇

四・八

五二・八

7.花田茂実

一四・四

五〇・〇

六・四

七〇・八

8.福島由紀子

九・二

四二・〇

五・一

五六・三

9.堀部真似

二・九

八・七

五・六

四七・〇

六・四

七〇・六

10.森孝一

一〇・四

四四・〇

五・四

五九・八

11.梁井繁歳

三・七

二・一

一・四

三二・〇

三・九

四三・一

12.梁井邦愛

二・六

七・八

七・八

四七・〇

六・五

七一・七

13.梁井佐会子

六・二

一八・六

二・〇

四九・〇

七・五

八三・三

14.梁井敦子

三・二

九・六

〇・九

三〇・〇

四・三

四八・〇

15.梁井邦歳

二四・八

一八・〇

二〇・〇

一七〇・〇

六六・二

四三〇・〇

七二九・〇

五六・三

一〇三・五

九三・七

七〇六・〇

一三八・四

四三〇・〇

一五二七・九

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